NPO法人「さど」は、佐渡島の自島の自然環境や価値資源が生命力を持って、残されている“今”を”未来世代”につなげるた様々な活動をしています。

環境

朱鷺が最後まで住んでいた島

江戸時代には日本のほぼ全域に朱鷺は生息していました。江戸幕府の崩壊とともに手厚い保護もなくなり、明治時代には、食用やその美しい羽を取る目的で乱獲され激減しました。その後、森林伐採がすすむなかで、朱鷺は営巣場所を失い、特別天然記念物に指定された1952年には、佐渡での生息数も24羽にまで減りました。また、米の生産調整と近代化により、餌場となる中山間地水田の耕作放棄、農薬による環境の悪化、平野部の水田の大規模圃場整備による水田の乾田化などで餌場が喪失されたのも大きな要因です。

1981年に、佐渡にいた日本で最後の野生の朱鷺5羽はすべて捕獲され、人工飼育下に移されました。そして、1999年、中国政府から初めて朱鷺のつがいの贈呈を受け、人工繁殖に成功、やがて2008年に10羽、2009年に20羽の朱鷺を試験放鳥するまでに至りました。環境省の目標は2015年には野生にトキが60羽暮らしていることだそうです。

佐渡の人びとの努力の甲斐もあって、朱鷺を再び野生に戻す活動が少しずつ推進されてきましたが、朱鷺が生きていく上で肝となる佐渡の農業はかなり深刻な状態でした。米の消費減少、価格の下落、収入の減少から、農家の人々は生産意欲を失い、農家の高齢化とも相まって耕作放棄地が増え、里山の荒廃も進んでいました。このような状況のもと、2008年度、朱鷺の放鳥に合わせて、朱鷺と暮らす郷づくり認証制度や生物多様性の保全に向けた活動がスタートしました。

主な施策

・春から秋にかけて、水田や水路の周りに深さ20センチ以上の「江」を作る。
・魚が自由に田んぼと水路を行き来できる「魚道」を設置する。
・冬に田んぼに湛水する「ふゆみずたんぼ」を実施する。
・米の生産調整のために水を張っている調整水田を「ビオトープ」にする。
・一年中、朱鷺の餌となるドジョウやカエルなどが棲める水田づくりする。

また、佐渡市は2010年度、「朱鷺と暮らす郷 生きもの共生環境経済戦略」を発表。戦略では、全島規模での生きもの生息調査を行い、米で進めている認証制度を拡大するための検討や環境を軸にした交流や人口の定着に向けた対策の立案などを盛り込むなど、現在の取組みを拡大を推進していきはじめています。

佐渡は環境島として、日本の縮図として、日本の環境再生モデルになると考えています。朱鷺の野生復帰を目指した活動の中で、生物多様性豊かな島を作るデザインには、美しい環境が経済の好循環を生み出し、そして経済の活性化から持続可能な環境再生が実現できるヒントがたくさんあります。朱鷺が「Nipponia nippon」というその名前が表すように、朱鷺とともに生きる佐渡から、生物多様性豊かな日本への動きが広がることを期待しています。

これまで、NPO法人「さど」の契約田んぼのある岩首の棚田に多くの皆さんに来ていただき、農業の大石惣一郎さんの農業のこと、棚田の魅力、お米の付加価値などもお話していただきました。毎年少しずつですが棚田のお米のファンもできてきています。朱鷺の野生復帰にとって肝になるのは農業。農業がしっかりと継続されていかなければ朱鷺と島民の共生はありえません。そしてそのことは朱鷺の野生復帰を目指す佐渡だけのことでなく、日本全国の農業の再生が集落の繁栄、文化の継続にとっても大切な要素であり、日本の未来を創る土台であると考えます。

これまで、佐渡朱鷺大学を通して多くの方々、団体、企業、大学の皆さんも佐渡を訪れてくれました。朱鷺野生復帰ステーションの見学、棚田の整備などの環境活動、朱鷺が餌場となる田んぼの見学、ビオトープ作りなど額に汗していただいて生物多様性保全のお手伝いをしていただきました。この活動が広がり、島民といっしょになって環境再生を推進でき、日本の環境再生のモデルになることを願っています。